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2008年07月10日

●ドラえもんへの雑考

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 ドラえもんの最終話については、一時“のび太は植物人間で、ドラえもんはその夢の中での人物であった説”が流布され、巷間を騒がせた事があった。私はこの噂を聞き、本当に泣きそうになったものだが、実際には第6巻の「さようなら、ドラえもん」でドラえもんは終わっているのだ。その内容とは、次の通りである。

 ドラえもんが未来の都合で帰らなければなくなり、のび太は泣いて止めようとする。しかし、やっぱり帰らなければならない。2人は夜を明かして語り明かす(オバQも同じような終わり方をしている)。その途中、ドラえもんは感極まって泣き出し、家を飛び出していく。そして、それを追うのび太は、空き地の近くで夢遊状態のジャイアンと遭遇し、我に返ったジャイアンにボッコボコにされてしまう。しかし、のび太は諦めない。
 「君に負けてしまったら、ドラえもんが安心して帰れないんだ!!」
 ジャイアンは「知るか、そんなこと」とまるでドラえもんに何の恩もされていないような事をここで言うが、のび太はジャイアンが逃げるまで抵抗するのだ。そこに、ドラえもんがやって来る。そして、のび太はドラえもんに言う。
 「勝ったよ、ぼく。見たろ、ドラえもん。勝ったんだよ。僕一人で。もう安心して帰れるだろ、ドラえもん」。
 それがのび太とドラえもんとが交わした最後の言葉だった。ドラえもんはのび太を床に就かせ、朝と共に未来へと帰っていく。もう机の引き出しにタイムマシーンの入り口は無い。のび太はドラえもんに誓う。僕一人で、やってみるよ。のび太は強く、逞しく生きて行く事を誓ったのである。
 何度読んでも泣けて来る。しかも、第6巻の末尾にはドラえもんの道具事典も付いており、確かにドラえもんは終わった事を示している。第6巻には感動する話が非常に多い。「赤い靴の女の子」、「のび太のお嫁さん」がそれで、しかも、それらの話は最終話への伏線として、序章として展開されている事が分かりやすい程に分かる。それぞれ、[のび太の昔大好きだった“ノンちゃん”への慕情の終結]、[のび太がジャイ子では無く、静ちゃんと結婚する事になるという、のび太の将来の保証]が表現されているのだ。ここに[強く、逞しく成長したのび太]の具現である最終話が加わる事で、のび太の過去・現在・未来に「お話」としての終止符が打たれ、セワシがドラえもんをのび太の元に送り込んだ目的たる『のび太強化改造計画』が達成されたのだ。
 のび太はドラえもんの登場以降、その怠けぶりに拍車がかかるばかりであった。そのままに終わるのではドラえもんに与えられた目的、ひいては存在理由そのものが脅かされてしまうし、何の哲学もない漫画に成り果ててしまう。しかし、この3つのお話によって、ドラえもんはその存在理由と哲学を明解に我々の前に提示し、終わっていった。
 ・・・そう、このまま終わるべきだったのだ。ドラえもんは藤子不二雄 が没するまで終わるまい。のび太はドラえもんの道具に頼り、自分の力を信ずる事なく終わり、ドラえもんもその存在理由を一切証明する事なく、にである(映画版については、少し事情が違うようだが)。
 ドラえもんは第7巻の「帰ってきたドラえもん」であっけなく帰って来る。その内容は、以下の通りである。のび太は強くなっていなかった。ジャイアンとスネ夫に相変わらず苛められ、自閉にすらなってしまいそうな様子である。そんな時、のび太は“何か困った時には、この箱を開けるんだ”というドラえもんの言い残した言葉を思い出す。そこには、ウソ800という道具が入っていた。「君なんか生きていろ!」と言えば、その言われた相手は死んでしまう、という余りに怖い、言葉のアベコベクリーム的道具である。のび太は早速それを利用し、ジャイアンたちに仕返しするが、何か空しい。すると、ふっと思いつき、言う。
 「ドラえもんは帰って来ない」
  ・・・ドラえもんは、未来の都合で帰ってきても良いことになった等と言いながら、再び引き出しから戻って来た。
 第6巻の涙は何だったんだろう。以来、43巻にドラえもんは達し、藤子の代表作として今に至っている。だが、こんな安直な方法を再開にあたり執ってしまった事で、ドラえもんは世の子供達にのび太の逆説としての「強く、逞しく」ではなく、「便利な社会、ご都合主義」を啓蒙するだけの漫画に落ちぶれた事は、皮肉以外の何物でも無い。もっとも、ドラえもんにこんな穿った見方をする事なんて、意味がないのだが。 




カメラトーク第4号(1993.11)所収

このテキストは、カメラトーク友の会から引用したものです。

コメント

はじめまして。

幼少の頃に読んだもので、うろ覚えなのですが

文章の最後の方の
>ジャイアンたちに仕返しするが、何か空しい。すると、ふっと思いつき、言う。
>「ドラえもんは帰って来ない」
という所の「思いつき」という表現はちょっと変かなぁと思います。

この表現だと、のび太がドラえもんを再召喚(?)する方法に気づいていたように取れます。

この「ドラえもんは帰って来ない」というのび太の台詞は何の打算もなく、ただ虚しさから無意識に出た言葉だったと記憶しています。

カメラトーク第4号(1993.11)の記事に対してレスしても意味が無い気がする上に、コラムの結論部分には全く関係がないのですが、なんとなく気になったので書かせて貰いました。
長文失礼しました。

漫画を描くことが好きで、それを口実に芸術大学へ進学した娘がいます。子供の時から「高知新聞まんが道場」の常連でしたが、昨年「年間準大賞」をいただいたときに、記事の中で、「ドラエモンが奥が深くて作品をつくるときに参考にしている。」とか言っていました。

 ただ漫画を「読み飛ばしている」私なんかにはわからない感覚。子供時代からどらえもんの絵の模写をしていて、そらでキャラクターを書いていましたし。影響が身体に刷り込まれているのであると思います。

 タケムラさんがコメントされているどらえもんの構成については、私などはそこまで深く読み込んでいないのでわかりません。おばQも最後の結末についても覚えていませんし。

 おばQは小学校高学年の時代にアニメ化していたような気もします。少年サンデーに「おばQパンチング人形」とかの懸賞に当たったこともありました。

 同時代に重なっていた漫画家では、赤塚不二夫だとか、石の森章太郎、手塚治虫などがいまして、トキワ荘に住んでいたから相互の影響もあったのではないかと思います。評論家ではないので、どの作品がどうのという論証はできませんが、なんとなく似通っているのではないかと思います。

 おそらくトキワ荘でも、タケムラさんが一時住まれていた沢田マンションのようなコミュニティがあったのでしょう。「どらえもん」の作品も赤塚不二夫、石の森章太郎、手塚治虫などの影響を読んでいて感じることもあるからです。

 テレビともに漫画は大きな影響を人々に与えます。それをつくづく感じています。話は飛びますが「島耕作」や「あんどーなつ」もテレビドラマになり、社会現象として注目されていますし。タケムラさんお気に入りの「お美味んぼ」などの影響は物凄いものもありますし。

 タイであるとか、アジアではドラエモンの影響は凄いと言われていますし。いずれにしても不朽の名作の1つであることは間違いありません。(中国では福田首相がのび太に似ているとの評判で意外に人気があるようですし)

ドラえもんのこの6巻からは、結婚前夜が映画になりましたね。台風のフー子もまさに名作。大人になって観ると、第6巻はホントにすごい。
ただ、実際に子ども時代(83年頃)、ピアノ教室で初めて読んだこの7巻、友達とのあいだでも「???!」感が強かった・・・!
6巻の最後にはひみつ道具図鑑まで収録されている(要は終わった感が6巻は色濃く出ている)のに、あまりにもビックリな復帰の仕方。たぶん同時期にナウシカを読み始めていたこともあるんだろうけどね。
コミックスも映画版も全巻愛蔵し、藤子不二雄ランドも集めていたおいらとしては、やっぱりこの6−7の展開は今でもフシギだなあと思いますね。10数年前に書いたテキストだけど、やっぱりフシギ。

うん、穿った見方だよね(笑

でも、6巻ラストでの「ドラえもんが帰れないんだ!」と叫んだのび太と、
その後の相変わらずダメなのび太は、
きっと別人ですよね。

リアルタイムで読んでたころは、単純に「ドラえもん」が
終わらなかったことを喜んでたんだけどね。

ああ、大人って(笑

穿ってますねw
15年前の視点がようわかりますわ。
でも、この文章なんか好きでねえ。

やっぱり未だにちょっと合点がいかないのよね。
ご都合主義とかいうのは今は思わないけど(笑)、案外大人の都合がこの時代のマンガってあるからね、終わって再開とかいうのが意外と多くて。
もしくは、奇面組のよーに終わらせてもらえなくてグダグダで終わって行くとか。

まあ子どものときからなんか斜めにかまえて物事みてたんだろうね。イヤな子どもだ・・・・それがようわかりますわ、はい。

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