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2008年07月29日

●四国からキハ58が引退しちゃうのだ

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写真提供/今日も自転車は走る キハ58系は右ね

この秋、キハ58、キハ28、キハ65の3系統がいよいよ四国から消える。
車でいうならカローラのような大衆車とでもいうべきこの3系統は、四国の鉄道の近代化に思いっきり貢献した名車。10年くらい前なら、急行土佐や急行あしずりとしても走っていたこともあるので、高知の人間なら恐らく乗った事がない人なんていないであろう、名車中の名車なのだ。

それがすっかり老朽化で坂道を登れなくなって煙を吐いたり、サイドのペンキが剥がれてそのままになっていたりと最近はもーすっかりボロボロに。引退自体はやむを得ないんだろうけど、これで高知を走るJR車はぜーんぶ味気ないステンレス車になるのかと思うとちょっと寂しい限りなのだ。

国鉄解体の日には「謝恩フリーきっぷ」で四国を一周し、翌朝には青春18きっぷで東京・長野へと一週間にわたる鈍行旅行にチャレンジ。宇高連絡船がなくなると聞けば、一日に何往復も連絡船に乗って4隻の連絡船とホーバクラフトを乗りこなす。181系の特急「南風」よりも58系の急行「土佐」が好きで、暇さえあれば写真と文章で旅行記を綴り、鉄道模型にも精を出したのが・・・今から20年近く前のこと。

で、その頃はこの58系や28系がまさに四国の覇者。特急も屋根に黒いラジエータを積んだ181系というメッチャ濃い車輛で、なんとも渋い時代だった。これらの全部が無くなると聞いて、寂しくならないはずがねえ。
そーいえば初めて買った鉄道模型も、トミックスのキハ58+キロ28+キハ28だった。

なにはともあれ、40年以上にわたり活躍をしてきた名車輛。どっかできちんと保管してほしいものですな。
新幹線ではダンゴ鼻の0系が全滅し、東京ではオレンジ色の鋼製車201系が続々解体中だとか。国鉄時代の最後の名残が続々と消えていく・・・!

というわけで、初の鉄ヲタ記事でした。

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 写真の車両は、キハ58系気動車(キハ58形をはじめキハ28形、キハ56形、キハ [Read More]

コメント

お、アップされましたね。

僕の場合は、民営化前後は小学校に入学する頃でしたので、ほとんど乗っていません。一回、小学2年のときに家族で、後免から大歩危まで急行に乗り、帰りは鈍行列車に乗りました。その鈍行がこれまた、機関車牽引の客車編成。DE10が引っ張ってました。

それにしても結構、テツなんですね~。僕でも全くかないませんよ(笑)

旧国鉄最後の砦は、キハ40系グループでしょう。堅牢な車体ゆえに、現在でも現役バリバリです。30年経過しても残存率は、95%程度とシブトイ車両です。

東海、西日本、四国では1両も廃車は出ていませんし、九州でも2両が災害で廃車になっただけです。北海道でも長期の使用を考慮して色々改造していますし、東日本でもジョイフルとレインに改造されたりと、色んな使われ方がされてます。

2000系との並びの写真を掲載されてますが、2000系も確実に名車と呼べうる形式ですね。

祖母の実家が徳島の三加茂町にあったので、小学生の頃は夏休みになると弟と二人で大阪から岡山・高松を経て、土讃線で帰省してました(基本的に全て鈍行を使用)。おそらく急行「あしずり」には乗ったことがあります。キハ58系は四国の鉄道の顔だったような気がします。当時、高徳線に機関車牽引の客車が一日1往復あって、あえてそちら周りで帰ったことを思い出します。基本的に国鉄時代の色が好きです。Nゲージでもキハ58か28のどちらかを持っていました。最近、汽車で街に出る機会多いので、残り少ない時間ですが、あえてこの系統の車両を選択して乗ってみたいと思います。

出張で使うのは特急ばっかりですが、
いつも見てます。

昨年、広島でもキハ58が消えました。

今日は
パノラミックウインドウとスカートが、
少し誇らしげなキハ47に乗りましたよ。


列車のお絵かきで
描いてたような車両がいよいよなくなるんですね。
さみしいですね。

写真撮っておこうと思います。

やっしー>鉄熱は相当のもんでしたよ。86年〜88年の国鉄解体のころが最盛期。なのであの当時の鉄ネタが基本です。ですが、それ以後も愛情はそれほどには減らず、今でも新大阪駅などに立つとワクワクします。やっぱりロマンなんですなあw ただしカミングアウトしたのは大学時代。当時出していた学内雑誌で「鉄男学特講」という文章で、鉄道マニアの分類と分析をしました。それを書いた途端、周囲にもたくさんの鉄男がいることが判明したものです。

機関車牽引の客車といえば、高松を深夜0時半頃に出て、高知に明け方に到着する50系の深夜列車がありました。
冬の高松駅で発車を待っていると、50系の床下から暖房の湯気が膨らみ、客車が見えなくなるほど。深夜の減光もないしもちろん垂直シートなので相当寝苦しいわけですが、当時既に珍しくなりはじめていた夜行普通客車列車にミョーな感動をしたもんです。
キハ40系。そんなに丈夫なんですか!すごいね。結局事故廃車だけということですね。201系並みに頑丈・・・!

おっしー>おっしーも鉄男だったのですね・・・!そうですよ、かつては四国の顔です。86年までは郵便車のキユ25なんかも連結して、ハガキを運んだりしてましたからね。ホントに隠れながら生活に密着した名車だと思います。
もう高知でも数編成だけらしく、滅多に見かけることがありません。どのダイヤで走っているとか分かるんでしょうかね?

くらだい>広島でも消えたんですか。そしてここでも47。おいら、47や40は元のオレンジ一色が好きでしたね。ある意味武士というか、余計なものがない感じがよかった。最近の地域色はもちろんいいんだけど、当時の国鉄色というのももう一回見直してみたいもんです。

当時のは無骨な感じがします。
運転窓上のヘッドライトがかっこいい。

国鉄色といえば、
列車を模した鉛筆が懐かしいです。
デビュー当時のカラーリングの0系は、「復刻」してますよ。
こないだ新尾道から乗りましたので間違いないです。

交通博物館とか行ったら買ってましたね、鉛筆。
でも実際には使いづらいので、用なしになることに途中で気付きましたよ。
あと、筆箱とかね。
おいらはブルートレインの筆箱でした。

0系も復刻。ラストランの証ですね。

はじめまして
0系ですが、少ないながらも定期運用は残っています。最新のJR時刻表には、「0系で運転」の記述が見られます。

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