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2008年06月21日

●藝術ウンコ論

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2008.6追記
10年前に大阪の友人とメールで対談した記録です。
この時代はまだネットなんてそれほど充実はしていなくて、
こーゆーのを友人と書いてはデザインして印刷して、あちこちのお店を回って配っていたわけです。
お金もかかるし手間もかかるフリーペーパー。
だけど今のブログみたいに「さっと書ける」ことがないかわりに、
案外じっくりと書き込んでいて今読んでもミョーな力があるような気がします。

そうなのです、今じゃ絶対書けないのです。
ミョーに青臭いけど、軽くないような感じがする。
自分で書いた文章にハッとさせられたりする一文もあったりするし、
案外10年後の今読んでも、たとえばギャラリーの質低下やブログの増殖と同質化を
なんか見込んでいるような感じがして面白い・・・と自分は思ってしまいました。

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アツ:アナマニア創刊、おめでとうございます。いやあ華々しく突然の創刊ですね。若者のやる気、いいじゃないですか!明るい未来だなあ!というわけでタケムラさん。今回のテーマは創刊記念特集に相応しく、「芸術はうんこだ!」というものなのですが。ハハハハ。
まあ読者の方々のために簡単にご説明いたしますと、芸術作品を制作する、ということは、うんこを出すことに通ずるもんがあるんじゃないかとこういうわけです。
いや私は何もうんこ自体を悪いもんだと言っているわけではないんですよ。まあね、うんこにもいいうんこ、悪いうんこもありますし、それを見りゃ現在の体調の善し悪しもわかる。つまりはうんこ(作品)を見て作者が最近何を食ったか(何に興味があるか)、ひいては現代社会の様相もわかるという大変便利なもので。ただ、そんなにかっこいいもんでもないんだぞ、という多少の皮肉も込めて、芸術=うんこと定義したいわけです。
ただねー。失礼千番を承知でいうと、いまのうんこ界ってあんまり魅力感じられないです。最近の風潮として、どうもうんこたれすぎじゃない ですか?全体的に。しかも自分のうんこの始末も付けられないうんこたれが増えてきたという感が往々にしてあるような。どうでしょう?

タケムラ:いやいや、本当そうなんですよね。芸術はうんこ。うんこっていうと何かいい印象はないけどね、実はすごい芸術っていう曖昧模糊としたものをはっきり見せる言葉だと思うのね。
うんこって臭いじゃないですか。でも、すごい臭いときもあれば別に臭いすらないときだってある。色も形も毎日違うし、他人のうんこは見たことないから知らないけど、多分形も臭いも少しづつ違う。今の地球上の人類がたとえ一斉にうんこをしたとしても、多分そのうんこは全部違うと思うのね。やっぱその人が食べてるもの、生活のリズム、体調その他云々で確実に違うモノができてくるわけね。
ほら、これって芸術っていうか制作行為と同じなわけよね。みーんな偉そうなゴタクならべて作品っていう名前のうんこをつくり続けているっていうわけで。
でもそのうんこ、最近みんな出しっぱなしなのよね。ああ今日のうんこはちょっと臭いからちょっと生活変えようっていうことにはならないわけで。これって無責任だよなあ。要はノグソですよ、ノグソ。



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アツ:いやいやタケムラさん、うんこの定義はしっかりしましょうよ、野ぐそはあくまで、野に放たれたクソです。一応、やっちゃったんだからもう戻れない、っていう、人様の目に晒されるってことに対しての覚悟はあるわけでしょう。この場合、無責任にたれっぱなしのうんこはその野ぐそというプライドすらない。「とりあえずしてみたけどー、なんか文句あるー?」って感じで、まじめに見る気にも匂いをかぐ気にもなれない。まあ現代がそういう倦怠感に充ちた、万年膨満感みたいな風潮でもあるわけだから、それはそれで胃腸も張るだろうし出さなきゃひどい便秘とかで弊害がでるのかもしれないけど。でも、やたら他人のうんこ見せつけられて、「これが俺の生きざまだー!!」みたいに息巻かれても、ハァそうですか、ってしか言い様がないですよ。
しかも何か言われたとしても聞く耳持たないうんこたれもいっぱいいるでしょ。「解らんやつは解らなくていい」みたいにね。でも私は、一度体の外に出しちゃったうんこは最後まで自分が面倒を見るべきだと思うんです。その結果、それがクソ味噌に貶されるかもしれない。でもそれがうんこをたれる上での責任であり当然のことだと思うんです。自分(達)だけが気持ち良くうんこをすればいいってもんじゃないんですよ。他人の目に晒すわけですから。
しかも始末に終えないのは、うんこのクオリティよりも、うんこに関するスタイルをやたらしっかり持ってるうんこたれが罷り通っていることです。スタイルをどうこうって言うよりもまず、表現媒体としてうんこを選んだのならせめて、後世に残るような凄いうんこを追求して欲しいですよ。どうあがいてもうんこ、しかし腐ってもうんこなんですから。今のままじゃ下手なうんこも数撃ちゃ当たる、みたいで憤懣やる方ないですよ。うんこにも礼儀があって欲しいじゃないですか。野ぐそ以下ですよ、野ぐそ以下。あー汚い話ですねえ全く。

タケムラ:要は形から入ってるだけなわけだから、結局意味ないよね。時代で形の流行って変わるモンだしね。それにそんなうんこを数うちゃ当たるでひねりまくってるわけだよね。それってガンダムのジムみたいなもんでさ、所詮量産型はプロトタイプのガンダムには勝てないのね。スタイルは似てても、部品の質は落としてるから、弱い弱い!ジムが100機かかってもガンダムは倒せませんよ。うんこも然り。
ところでさあ、今日も一個みてきましたよ、若々しいうんこを。まだ見せ方ってのも何もわからないけどやってみたって感じのね。それで、色々と助言してみたんですよ、こうしたらああしたらって偉そうに。でも、アツさんいうところの「解らんやつは解らなくていい」ってのが先方には少しあって、別にどうでもいいっすよみたいな感じなわけ。
「それじゃあ何のために君はこうやってうんこを人前に晒しているんだい」って聞きたくなっちゃたのね。もち、聞かないけど。
結局こうやってうんこ並べ立てて、その行為にだけ悦んで、うんこの本質も見極めないで、いや見極めようともしないで何になるのって聞きたくもなるよね。それじゃあこのギャラリーは何?ただの便所か肥だめか?って思ったよ。やっぱ人前に晒すからにはさぁ、アツのいうところの礼儀っていうか、ちゃんと臭いも形も意味もきちんと自分なりに解釈してほしいよね。

アツ:若々しいうんこ。ハハハ。それってある意味しょうがないのかもしれないですね、だって、そういう若いうんこたれの通う学校、あんまり大きな声じゃ言えないけど例えばうちの学校なんかじゃ、うんこの効果的な見せ方もお便所の使い方も、ちゃんとしたことは教えてくれませんもん。ただとにかくたれろ!晒せ!って感じ。若いうちはそれいいのかもしれないけどね、年取ってもまだそれやってる人も・・・いる。
それはそうと、ギャラリーはお便所ですか。ううん、なるほど。そう考えると、きちんとお便所設備の整った環境ってのはそりゃあ幸せってことですよね。だって、うんこをする正当な理由付けのある場所だもの。それはそういった、うんこや排泄行為自体を立派に見せてくれる、という意味もあるけど、逆の立場、うんこを観賞する立場からいえば見たくないものを隠してくれる、っていうこともいえると思うんですよ。さっき言ったこととちょっと被るけど、はっきり言って無自覚な野ぐそって見るの苦痛でしょ。 身も蓋もない言い方だけど。それと同じに、無節操にその辺にこれ見よがしに展示してある、或いは放置してある作品ってなんか腹立ちませんか? あ、私だけですか。すごく稀に、ホントにドキッとする野ぐそがあって、心底惚れちゃうこともあるんですけどね。でもやっぱり、うんこはするべき場所にしてもらいたい、と。ほとばしる激情に駆られてしたけれど、後で周囲はおろか本人まで悲しくなっちゃうようなことはご免ですよね。
まあ、うんこをすること、つまり芸術活動には産みの苦しみも快感もあるわけですが、それはこの社会の中ではごく一部分の現象でしかないわけでしょ。だって、だからこそ「うんこ」なんですもん。これは私が勝手にこの芸術うんこ論の本質だと思ってることなんですが、その一握りの範囲での嗜好性、そしてそれに付随する行為である、ということを忘れて辺り構わずやたらとうんこをしまくるってことは、全体的、一般的に見たらかなり鬱陶しい行為であるんじゃないかと。・・・ううん、どうなんですかね。全く人畜無害な、それこそ空気みたいなうんこも中にはありますからね。その辺はわからないけど、結局お便所はあったほうがいいってことなんでしょうね。
ただ、お便所の種類、質に関しては、私個人的には あんまり拘りません。そりゃあ冴えない便所じゃ困るし、うんこ以上に目立つ便所や偉そうな便所もいやですけど。だって、どんな便所でも人のうんこ見るという行為自体に変わりはないですし、こういっちゃ失礼ですけど並んでるうんこだって、そう大差ないでしょ。ただ、便所を効果的に利用して汚してるうんこは好きですね。そういった意味で、便所はあくまで便所であり、箱であると思います。あえて求めるなら、干渉しないこと、つまり無個性ですかね。やっぱりうんこが命でしょう。なあ。
ところで現在、そういった形のある三次元のお便所よりも、雑誌やインターネットなどの媒体上での便所、いわばメディア便所ともいうべきものがはびこってるじゃないですか。私たちの作ってるフリーペーパーも実はそういったメディア便所の一種です。私は今後、このメディア便所が良きも悪しきも便所の要となるんじゃないかと考えてるんですが、どうでしょう?だって、高い金だしてギャラリー借りてうんこ見せるより、お手軽に自宅で私設便所を開いて、公共電波に乗せるほうがなんぼかお得で合理的ですしね。でも、メディア便所の蔓延はそのうちうんこ自体にも影響を与えると思うんですよ。だって結局、メディア便所で見れるのは、生のうんこじゃないですから。

タケムラ:結局これまでのお便所って、無個性であることでうんこ本体を際だたせる役割を担ってきたわけですよね。真っ白な壁面にうんこをおく。壁面は常に同じ純白を保つから、うんこそれぞれの違いも見えてくる。まぁうんこの本質を最も明快に見せてくれる場所だとは思うんですよ。だから、逆にいうとお便所がないと実はうんこをどうやって見せるかっていうことにきっとみんな困惑しますよね。
ほら、岡山でかつてあった自由工場とかが典型的だったんですけど、あそこは廃ビル全体をコンテンポラリーアートスペースとして開放したでしょ。当然最近までそこはオフィスとして使われていたわけで、壁面は真っ白とは限らないし、色々な配管だとか窓だとかのしつらえが残っていて、その上にみんなうんこをぶちまけたわけですよね。
でも、成功していたのはそう多くはなかった。結局「場」との関わり合いがうんこに求められたから、従来のお便所と同じようにしかうんこを並べることのできなかった人達は悲惨だったわけですよね。「場」との関わり合いを求めすぎて部外者には理解しにくいものも多くあったしね。そのビルの埃を集めて版画を・・・とかいう材料の求め方は理解できても、結局出てくるうんこやその並べ方を見ると、それまでのお便所に並べ立てたのとほとんど変わりがなかった。そういう意味じゃ、お便所とうんこの関わり合いってすごく大きいものだと思いますよ。もちろんうんこが命だとしても、お便所は無視できないと。まぁそれを無視できるようにニュートラルな壁がお便所には用意されてるわけですけどね、結局発表の場であるお便所がそんな「何にでも対応できる」仕組みになっているから、うんこが無軌道化していってるような気がするわけですよ。
それでメディア便所ですか、ホームページや雑誌といった新しい発表の場ですね。やっぱうんこへの影響は大ですよね。私は無軌道化に弾みを付けると思っています。良かれ悪かれ、あまりにも制約がないですしね。また、逆なんですがみんなのうんこが似ていくような方向にも向かうとも思いますね。素材とか形とか、特に目に見える面でです。
メディアの影響力っていうのはすごいもんですよ。日比野克彦が出てきたときもそうだったじゃないですか。みーんな段ボールで何かつくってヒビノ気取ってた。メディアっていうのは確実に「流行」をはらんでますからね、いくときは一気にいくけど、だめな時は全然だめ。
個人でページをたちあげていても、ほっといたら誰もきてくれませんよね。それじゃあいやだから、他のページとのリンクをしようとしたりしますよね。雑誌もそうで、載せてもらうために編集部に作品を送るわけですよね。で、誰かがそれを選ぶわけですよ。要はうんこをつくる人間よりも、そのうんこを選ぶ人間の方が増えるんじゃないかなって。
選民が行われるわけですよ。まぁ今の美術評論が東京と関西の展覧会に関するものに関してしか行われていないのと同じですよね。結局評論家が東京や関西しか知らないから、いくら地方で面白いうんこがあっていても評論の対象にはならないと。偏りが絶対生まれるわけで、そこらへんにメディア便所の可能性と危険性があるような気がしますよ。私たちがペーパーをつくっていても、同じコトは起きていますよね。あぁこの文章は違う!だからボツ!って。

アツ:そうですね、メディア便所の弊害でまず作品が似ていくってのは全く同感。やっぱりいまこうしてコンピュータのモニタ見てても、この画面上で伝わるものには限度がある。雑誌も然りで、特に立体作品や建築作品なんかはちょっと作品の本質とは違った伝わりかたをしちゃうことが往々にして多い。必要以上に演出されててやたらかっこよくなってたり、逆に貧弱だったりね。そのようなメディア便所でよりよく見えるようなうんこが大量に生産される状況ってのは、簡単に想像できます。
まあ本来はその見せかたも含めて完成したうんこになるわけじゃないですか。でも実際、生のうんこ空間(って言葉にするとすごく怖い状況ですね)っていうか、それなりのお便所があって、うんこがドカンとあるそういうリアルな空間を体験することは確実に減ってくると思うんですよ。実際に足を運ばなくとも、すぐ近くにあるわけだから。二次元の、しかも視覚でしか情報が伝わらないところでのうんこ体験ですよ。なんかそんなのうんこじゃないような気がする。匂わないし。まあ、無臭・清潔が今の流行の一個のキーワードでもあるから、それはそれで見合ってるのかも。だってそういうことでしょ、必要以上に自分を外界に晒さずいろんな疑似体験ができる、ってのが売り。なんかそう考えると結構きもち悪いですね。最新技術大好きですけど。
でもどうなんでしょうね、うんこを出す人よりうんこを選ぶ人が増えるってのは。そこは良く解らない。全部増えるんじゃないですかね。うんこ出す人、選ぶ人、あと一番増えるのはうんこを見る人。だってもう至る所にうんこうんこうんこうんこうんこでしょ。ちょっと堪らん状況ではあるんですが、いままでうんこに興味がなかった人もうんこを見る機会は増える。それでその人たちが今度はオイラもうんこ晒してみようかなってんでどうでもいいようなうんこが大量発生し、メディア便所もおおわらわでどんどん新しいうんこページやうんこ雑誌が新装開店する。まさにうんこ業界にとってはバブルですよ、この不景気に。でもさぞやうんこの価値も下がるんでしょうね。
こうなるとやっぱりうんこの質だと思うんですけど。きらりと光るうんこが、後々まで残り、伝説のうんことなっていく。だって質の悪いへんなうんこばっかりじゃそのうち大衆の興味も退いちゃいますよ。メディア便所も然りですね。ミーハーなだけなのはやっぱり続かない。まあそのうちインターネットも雑誌刊行ブームも落ち着くでしょう。その時にどれだけのうんこが、どれだけのメディア便所が残ってるかですよ。
あー、それにしてもこの対談、いつまで続くんでしょうね。いい加減臭くなってきました。

タケムラ:粗製濫造の時代ですね。まぁ言うたらこの「アナマニア」だって、結果的にはアツの言う「至る所にうんこうんこうんこうんこうんこ」っていう現象のかたわれであるわけですよね。きらりと光れるかどうかは分かりませんけどやってみようって感じで始めてしまいましたし。でも、みんなそんな気楽な感じでやりたいと思うことをやれる、という幸せな時代なのかも知れませんね。
でも同時に、みんなが見せる場所を得た以上、本当にいいものをつくって売り込みして、継続的にそれを続けていくことができなければ、たとえ光っていても発掘されることなく終わる・・・そんな厳しい時代がやってきているのかも。こうもみんながうんこを見せることが楽になってきたら、また更に先をゆくうんこの見せ方を提示しなあかんわけで、ということは今の時代の構造っていうか今後も見越す能力がないとやってけないわけですよね。きちんと1年後のうんこ社会を取りまく状況を予測する能力というか、そこまでいかなくても計画的にその時代時代にあったうんこの見せ方を提示できる能力が伴わないといけないわけで。 ほら、バブルの時に頑張ってきちんと経営も経理もやってた会社が今も生き残ってるわけじゃないですか。あの時代に計画性なしにやってたところは今苦しんだり潰れたりしてる。コピーの三田とかヤオハンとかね。
まぁそんな人なんて、そうはいませんよ。まぁ自分もそうなんだけど、今うんこをひねることこそ大事っていう人がほとんどだもんね。でも、ひどいのは未来を予想するどころか過去を遡ることもしない奴が多いってところじゃないですか。何か新しいうんこひねった気分でいるけど全然昔に誰かがやったことだっていうのを知りもしないでやってる奴とか、いつまでたっても自己満足のうんこで終わってる奴とか多いもんね。そういう奴に限ってやたらアクが強くて困るんだけど。vメディア便所なんてのは自己満足で終わることがもう完全に許される場所だから、余計怖いよね。巷にはびこるクリエイター系雑誌だとかフリペだとかネットって、ほんと見てて辛い時あるもんね。「あぁ多分この人はここにうんこを出してしまったばっかりに何だか有名になった気分になってちょっぴり天狗入っていってしまうんだろうなぁ、ほんでもって後輩にほらおいらのうんこがのったんだよって自慢してみたりするんだろうなぁ」ってさ。カメラトーク友の会もかなり自己満足で終わってるけど、これからも活動を続けていくなかでそんな状態からは抜け出ていきたいもんだね。それできちんと5年後10年後も地道にやっていけたら幸せよ。
いやあそれにしても疲れたね。もうそろそろ締める?

アツ:そうですね、未来の展望と抱負も出たことだし。
不本意ながらも気恥ずかしいことをいえば、本来人間は常に当たり前に何かを表現し、生み出しているわけでしょ。大なり小なり。だからこそその創造活動のうちでも最も顕著な行為である芸術を、みんなが当たり前に出してるうんこにたとえたんです。始めに書いたように、それは決して芸術行為を不当に貶めるものじゃない。
ただ、うんこについて深く学び、うんこを出すことを生業とし、そのうんこをあえて人前に晒す、という行為は、うんこが人体のいち排せつ物であると同じく、社会全体の中の一部分です。だからそれなりの意識を持ってやってもらいたい。かっこつけても所詮はうんこです。だけど実際素晴らしいうんこも沢山ある。お堅いことは言わないけど、潔くて、己をわきまえてて且つハッとするような美しいうんこを見たい、造りたい、というのがこの臭くて長ーい対談で私が一番いいたかったことです。
では、伝説のうんこを夢見て、さようなら!次回のうんこをお楽しみに!
・・・かっこよく締まりましたね。珍しくまじめなことを考えたもんで肩も凝ったしおなかも減りました。しばらくうんこのことは忘れたいです。ねえタケムラさん。

タケムラ:疲れました、もうね。最近トンとこんな事は考えなかったもんね。うんこうんこって書くと汚らしいけど、作者の生活、思想、性格その他諸々を昇華して作品にしていく作業は、人間の食べ物の消化・排泄のしくみと全く同じです。うんこに作品を例えていくと、 作品を単純に一方向的な作品論としてまとめるよりずっと具体的に見えるんじゃないかってのがこの対談の趣旨。
今はまだ若いから、食っちゃ寝食っちゃ寝、うんこして食べ・・・を繰り返します。まぁ若いからお通じも快調です。そしてそんな日々を送りながら、ゆっくりと成長していきます。
でも、好き嫌いしてたらいけませんよね。成長にも様々な良い悪いの影響が出るし、出されるうんこにも絶大な影響を与えちゃうじゃないですか。肉ばっか食べてたらくさいうんこになるし、野菜ばっか食べてたらぱさぱさうんこになったり?するし。そのへん、きちんと妙な選り好みをせずに食べてる人のうんこが、いわゆる「ハッとする」うんこになるんじゃないかと思います。
でも、そんなうんこになんてそうそうお目にかかれない!またそう簡単につくれるもんじゃない。でも、考えていくべきだし、作り出す努力を重ねていかなきゃ気が済まないっしょ。
では、またいいうんこが出たら、お目にかかりましょう。ほな!

1998.9.16~10.18 京都・高知 メール対談


アナマニア第1号(1998.9)所収

このテキストは、カメラトーク友の会から引用したものです。





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