●桜の頃
あれから11年。彼らがのった列車が上海で事故に遭ってからもう11年だ。
自分はあの列車にのっていたわけではないし、知っている人も失礼な言い方だがそんなにたくさん亡くなったわけではない。でも、未だに3月24日が近づくと突然どきりとする。これこそがトラウマというやつなんだろうか、たとえばニュース速報の音、彼らの棺が並んだ空港の倉庫、3・2・4の数列、高校の校舎、テレビカメラの放列、上海という言葉の響き。いまだに逃れることのできない傷口がそれらを見聞きすると疼きだす。
別にあの事故を背負っているわけでもなく、そもそも背負う必要もなく、でも忘れることのできない恐怖の日々がいきなり蘇る。はじめて死ぬということを直接間接に見たときだった。あまりにもその死のカタチはいびつすぎて、あまりにも強烈な時間が流れすぎて、消去できない日々になってしまった。だから、もう忘れようとすることはやめた。
高校の時の友人なんてもう誰もつながりがなくなったのに、あの高校で育ったことすら後悔するほど嫌いな学校なのに、それでもあの事故だけは残り続ける。桜が咲き出すと、毎年こんなことを考える。もう11回も繰り返して。
Idletalk第5号(1999.5)所収
このテキストは、カメラトーク友の会から引用したものです。
