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2007年03月23日

●消える新堀川

DSC_0193.jpg
街中に残る最後の運河・新堀川。
この川に間もなく蓋がされる。
それほどきれいな川でもないし周囲の景観もめちゃ優れているという訳ではない。
だけど、たぶんもう高知では最後ともいえそうな城下町時代の風情をちょっとだけ留める貴重な空間だ。

こんなところに蓋をして道路を通して何になるんだろう。
細長い公園を壊すだけ壊してバス停を作ろうとした前市長の置き土産のひとつだ。

失う前に、もう一度。
やっぱりたまには一歩戻る勇気が必要だ。
ましてやこんな時代に。

■参考記事
そこまでいうならやめましょー
高知遺産の葛藤




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コメント

かるぽーとの2階建て道路は『龍馬』市長ですが、新堀はだいちゃんです。
後悔の弁は信田さんとの対談で出てきます。
http://white.ap.teacup.com/shinbori/

ありゃりゃ。そうでしたね。。。
季刊高知も読みましたが、そこまで知事も言うならはよ止めよー!という感じですね(笑)。
かなり素直に喋られていて、ここまで言うていいの?とドキドキしつつ、さすが知事、と思わさせられます。

この三月、 県議立候補高知市予定者への○×でないアンケートに21人中15名が答えてくださいました。 諸会派の賛成による高知駅前開発計画の付帯事業が新堀川被覆道路化計画でしたが、12年経ち、議員さんの意識も変わり見直しにも柔軟です。 ぜひ、県にも柔軟な対応をお願いしたいところです。

せめて石積み護岸やその周辺を残すとか、周辺街区との取り付け道路の高低差を減らすとか、せめてもの柔軟な対応をしてもらえたらありがたいですね。
ミティゲーションとして、県営の駐車場(現在新堀川に蓋をしている方)をきちんと整備するとかいうのも今後の課題かと思います。

現在のような高知市内の乱開発をやめて、川、水、緑と人の住まいを見直してみたい。そんな気持ちが噴き出てきた。浦戸湾に注ぐ川がそれぞれの顔をもっていて役割と人とのかかわりを深くもって数百年と続いてきている。
僅か数十年でコンクリートで固めてしまった。例にとれば鏡川が魚とりや夏場の水遊びで子どもが戯れる風景を再現したい。石垣にいたえびやごりを追わえる子供達をもう一度見たいものである。夢であろうか。

鏡川は実際難しそうですね(笑)
でもコンクリ護岸に覆土をするのは考えられるかも(でも鏡川の護岸は狭いし勾配がきついのでダメっぽい)。
一時期ビオトープが盛んに言われた時代、あちらこちらでビオトープ空間が作られたものですが、どれもこれも変に作り込まれすぎていて、かえって空虚に見えてしまうものでした。
たとえば野市の三又から別れて吉川に向かう用水路。
もとは細い小道沿いに自然そのもの!みたいな用水路が走っていたのですが、道路拡幅で6mくらいずらされたわけです。で、その区間は全面的にビオトープの整備手法が使われたのですが、工事から6−7年経った今もなんだかミョーに浮いています。自然が根付いていない。
おいらも一応ビオトープ施工管理の資格を持っているのですが、なんだかそれを見た時に「再現」することにどこまで価値があるのか分からなくなりました。
むろん、植田さんの言うことはよく分かるのですが、それを実現する技術がどうにもまだまだ未成熟なのかなと。
単に土と木と石だけでそういう空間は作れるはずなのに、なんだかそうもうまくいってないところが散見されるというか。

以前、長崎県で川辺の公園の設計をした時に(大阪の設計事務所で2年修行して高知に戻っての初仕事)、川辺の手すりを間伐材とロープだけで仕立てた簡単なものを描いた事があります。
また、舗装も土を突き固めただけで、モルタルも何も使わない、洪水がきたらあちこち壊れてしまいそうな公園にしようとしたわけです。
でも、そういう「遊び」のある素材なら、草も自然に生えてくるし、虫も自然と寄ってくる。川辺や山の中の公園は都市的にガチガチ整備するよりも、5年後にどこから公園でどこから山なのかわからんようなものにしたいと思っていたので、そんな設計にしたわけですね。
でも、その設計監理をする土木事務所の方は「擬木でよかと」「アスファルトでよかと」とおっしゃり、結果できあがった公園はモルタルづくしのガチガチ公園でした。
また、おいらがやったのは基本設計でしたが、実施設計を同じ会社の上の人にやってもらうと、緩い線で描いていたものが全部直線になってしまいました。
実際直線でないと入れる土量も計算しにくいし、床堀の立米も計上しにくい。また、洪水に対する強度計算もやりにくいんだとか。
結局、そういう自然にかえすような公園や、かつての風景をつくろうとすると、監理者や設計者、工事業者のみんながきちんと意識を持って取り組まないといかんのだ、とつくづく教えられました。

で、その翌年には鏡川の上流域でまた小さな公園を作ったのですが、いまや舗装はほぼ自然に帰り気味。逆に工事段階で色々な都合で変更になってしまった部分だけが今も浮いたまま残ってしまっています。

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