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2007年03月22日

●あちこちで話す日々[横浜→高知]

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高知遺産関係でなんだか続いたイベントがようやく一段落。一昨年から去年頭にかけては東京じゃー大阪じゃーあちこちでお話をする機会があったんだけど、ずいぶんまた間が空いて・・・

先週の土曜日17日は横浜のデジタルアーカイブづくりに関するトークセッションに呼ばれ、30分間のプレゼンテーションとパネルディスカッションへ。高知の10倍という人口を持つ横浜で、市民が主体となって進める「地域の記録」づくりに関する仕組みづくりを検討する会だったのだ。まあいうたら高知遺産を10個つくろうというような試みですな。
ただ、参加者の多くは40-60代。これまで大阪や高松、東京などで呼ばれた時はだいたい聴衆も若い人だったんだけど、なんで日本で一番若い街が、一番年寄りか?と不思議な感じだった。でも、話を聞いていると、それも氷解。別名東京都民ともいわれる横浜市民は、バリバリ働いたりしている間は横浜に目を向けないが、退職すると足許を見つめるようになるという単純な理屈。

だけど、ただ足許を見つめるだけじゃ伝わらない。そこに一本筋を通して編集しなければ伝わらない・・・というのが最終的なまとめの一言ですな。
で、夜は飲み会。高知は都会から情報を一方的に受けるばかりだというおいらのスライドに疑問を持った人が多かったらしく、そこらへんでのディスカッションが続いた。というのも、横浜も同じように情報を受けるばかりだと。たとえば高知と大して人口も変わらない緑区などの「区」の情報は流れないし、そもそも横浜自体の情報量も少ないしうんだらかんだら・・・なるほど。・・・でも、なんか違うなあ・・・などと思いつつ夜は更けて。
参考記事■あしたば仲間

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で、昨日は高知・丸の内緑地で開かれた「春一番!お城下まちかどトークカフェ」にテーブルスピーカーとして出席。もうホントに自己紹介とか人前でマイク握って即答せないかんのって苦手。しかもさすが地元だけに妙に知り合いも多いし。おいらは「遺」というテーブルで喋る役。「高知遺産」が産まれたきっかけ、そしてこれからやるべきこと的な話をうんだらかんだら。その後は前に出てのパネルディスカッション方式。色や歴史、映像、情報など様々なアプローチから考えてみても、結局は自分たちで動いて行くしか無い、というようなことが結論ですな。





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