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2006年12月18日

●NPOへの視線は冷たいけれど

NPOって聞くと、人によってどうにもイメージが悪かったり、よかったりする。
おいらはART NPO TACOの理事。最近までは仁淀川お宝探偵団の理事もやっていたんだけど、
実は3年くらい前まで、本当にNPOというものが大嫌いで仕方が無かった。

というのも。

なんだかNPOと聞くとボランタリーで「えいことしゆうがやき」的な空気感がある。
むろんNPOでないとできないことはたくさんある。
だけどそれをボランティアでやって貢献してます!みたいな雰囲気がすごく嫌いだった・・・いや今も昔以上に嫌いなんだけど・・・のだ。

欧米でNPOが成立するのは、キリスト教文化のもとボランティア活動が全く普通のこと(=信仰と密接不可分)として受け入れられるからだ。
宗教がめたくたに壊された日本の場合、これはない。
だから、ボランティアというとどこか日常からは浮いた感じの活動に見えてしまう。
そのことが「えいことしゆうがやき」に見える一因だ。
[→このエントリを書いた翌日、ボランティア・ NPOセンターの方から別件で電話があり、ボランティア=無償奉仕というイメージがあるけど、本当はそういうものでもないというご指摘を受けました。もし気づいたらコメントで細かく書いてくださいー]

おいらは、ボランティア活動そのものは当然ながら悪いとは思わない。
作業的なことやそうした精神で支え合わなければ成立しない事業もあるし、
なんでもかんでも金金いうてるとどっかの経済至上主義者になってしまう。

だけど、たとえば技術とか知恵とかいった部分を出し合っていかなければどうしようもないことは、ボランタリーであってはいけない。対価があってはじめて成立する仕事には、やはり対価というものをきちんと用意するべきだ。
そう思っていたら指定管理者制度やアウトソーシングという話がでてきた。支援組織のメニューやHPを見てもボランティア関係の話が目立つ。

なんだか、これでは本当の意味でのNPO法人って育たないんじゃないか。
NPO法人へのどこか冷めた視線も変わらないんじゃないか。
NPO法人 は、株式会社における株主重視が目的重視になっただけの法人形態であって、「ボランティア」法人じゃあない。その部分が整理されていないから支援制度もおかしくなるし、NPOへの仕事の委譲のしかたもおかしくなる。
そういう意味では、本当のNPO法人とボランティア法人は、どこかで線引きをする必要があるんじゃないだろうか。
その上で支援制度や税制優遇制度を整理して、第三の法人としてNPOを育てていく姿勢が必要なんじゃないか。
そんなことを思ってみたりする。





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コメント

半田@高知県ボランティア・NPOセンターです。

定期的にブログを興味深く拝見しています。先日は、タイミングの良い電話で驚かせてすみません。ボランティアやNPOについて、コメントさせていただきます。一言では表せないので、長文になりますがご容赦ください。

日本では、ボランティア=無償奉仕のイメージが強く困ってしまいますね。私たちはそのイメージを払拭するために、その都度、講座や事業の際に説いていますし、実際活動している人も、「タダ働き」「奉仕」と思われるのを嫌う人は結構多いです。

私たちは、ボランティアを、「自発的に社会課題に関わる市民」ととらえていますし、本来そうであると思っています。

一つのキーワードは、「ほっとけない」ということ。当然、「困っている人を…」というのもあるし、「社会や地域のありようを…」や「環境問題を…」など、「ほっとけない気持ちで自発的に課題に関わる」ということです。
もう一つは、「価値の実現」です。実現したい価値はそれぞれです。社会性を有し、自らの信じるものを実現するために、自発的に行動すること。
好んで無償でやっているというよりも、取組む課題は、市場で成り立ちにくいものが多いし、雇われてではなく、自発的に活動しているので、結果的に「無償」になっているのだと思います。(好んで無償の人もいると思いますが…)

このような「市民による自発的な課題解決行動を組織化」したのがNPOととらえています。
おっしゃるように、NPOは多様です。事業型、運動型、あるいは一般市民が参加できる組織と、そうでない専門的な組織など。しかし、人数の大小に関わらず、会員や支援者などの自発的な市民、共感者に支えられている組織がNPOなのでしょう。

NPO法も、当初は市民活動促進法(法人名は、市民活動法人)でした。やはり、この名称の方がしっくりきますね。

センターも、NPOの経営支援に関するプログラムもあります。同じNPOの仲間として今後ともよろしくお願いします。

ありがとうございます。
個人的には、世の厳しい NPO観がどうにかならんのか!という印象があります。この印象を変えなければ、実は寄付制度なんてものも成立しないし、NPOが本当の意味で活発化することはないのではなかろうか、と思います。

NPO=ボランティア乃至それに近いものであるとしたとき、最悪の流れとしては
1.今後団塊世代がNPOを乱立させる(ボランタリー)
2.財政難の行政は藁にもすがる
3.対価を得ることで成立する企業や NPOが厳しくなる
みたいなことにならんか?とかも思います。
そのいい例がやなせたかしさんですね。

めんどくさいだけのNPO

 実は私も依頼されて2つのNPO法人の理事をしています。会費を納めているだけのNPOにも加入しています。感想は「めんどうくさい」し、「違和感」を持っています。

 夜須に関して言えば1985年からあのビーチでヨットを始めました。浜で親しくなった漁師のおんちゃんからマリンタウン計画のことを聞き、自分らもできることをしようというので、仲間と任意のヨットクラブをこしらえました。当時入会していた青年会議所(JC)での事業もしました。

 1987年の連続セミナーの第1回目の講師は、今や「よこはま水産」問題で「時の人」になっている方でした。テーマは「国民休暇県構想について」です。講演後は町内外の関係者も入り乱れての大宴会をしました。

 それからアメリカへツアーを組んで見学に行ったりしました。今のヤ・シーパークの施設のモデルはアメリカ西海岸ですね。1989年には任意のヨットクラブが「スプリング・カップ」」という四国最大のヨットレースを企画運営しまた。JCと提携して「中学生ヨット教室」も開催しました。

 同時期マリンタウン計画をめぐり町内が紛糾しました。双方の話し合いや討論会の段取りも私はしました。ですので夜須の町内の人たちは皆知り合いですね。なにせ地元のセミナーの様子をまとめた冊子をJCでこしらえましたが、それを持参して県庁も町も国へ陳情に行っていましたから。

 高知国体もヨット会場がなくて困っていましたが、町長に手を上げさせたので開催できましたし。その産物が今残っていますし、それがNPOにもなっています。

 それから20年が経過し、施設は今の形体になりました。
 今思えばNPOなんてなかったのですが、県の地域支援員のようなことはしていまたし。

 ですのでなんかあったらコンサル会社の連中がやってきて「ワークショップごっこ」「話の話」をすることがNPOだなんて言っておられるのでアホらしくなりますね。

 あくまで私はヨットで年中遊びに行っただけなのですね。その延長でいろいろと活動しただけです。

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