●「高知遺産」とタウン誌。そして。
ほお。
「高知遺産」は意外なところで意外な影響を及ぼしておったんですな。
先日の朝日新聞高知版で、知り合いの記者さんが書いた記事。
そうか「高知遺産」は意外なところで意外な影響を及ぼしておったんですな。
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ほお。
「高知遺産」は意外なところで意外な影響を及ぼしておったんですな。
先日の朝日新聞高知版で、知り合いの記者さんが書いた記事。
そうか「高知遺産」は意外なところで意外な影響を及ぼしておったんですな。

どうでもいいといえばどうでもいい。
だけど利用度や注目度に比べて「うーむ」と思わず唸らされるホームページもある。
そのひとつが「高知新聞社」。仕事柄毎日のように見るし、市町村合併のことなんかは高知県の担当課よりもはるかにわかりやすく時系列でまとまっている。
だけど、だけどね・・・

ただこの石像の中央にいる子どもに、メガネが。
あまりにはまりすぎです。
おっさんやないか。
活動27年最後の曲碑完成 弘田龍太郎出身の安芸市 高知新聞はこちら。
12/3は「あきさんぽ」の日。みんなで石像を見に行きましょう。

9月末のエントリ「レースクイーン写真集撮影でまたもや沢マン」でレポした写真集がついに発売されました。撮影は高校以来の親友である栗山秀作。
全編高知ロケのこの写真集では、沢田マンションや土佐電気鉄道、鏡川、香北の小学校など「高知遺産」でも紹介した物件が多数登場。おいらこの手の写真集なぞ買った試しがほとんどないんだけど、今回の写真集は「高知遺産」をまた別の角度から見るという意味でもオススメでござる。
えー。なんというか、今回の平成の大合併ではよくわからない名前の、さくら市だのみどり市だのなんだのと、もう全く歴史も地理もへったくれもない、たぶん「今」のことしか考えていない新市町名があふれだしているわけですが、どうやらこれは「紋章」でも同じようです。
クイズです。
下の5つの紋章は、仁淀川町、黒潮町、四万十町、津野町、中土佐町のものですが、どれがどれだかわかりますか? おいらにはさっぱりわからん。
11月12日の朝日新聞で、なんだかどうしてもおかしくてたまらない記事が。繰り返し読んでいるとなんだか心の底から笑いがこみ上げてきます。
イトカワとかミネルバとかがまるで人に見えてくる・・・変な感情移入。
とっても真面目な記事だし、成功すれば日本の宇宙探査にとっても大きなものになるわけだけど、漂ったり飛び跳ねたり、ぎくしゃくしたり一瞬だったりと、なんだかもういまミネルバやその周辺に起きていることの表現がおもしろすぎる。。。ほんま機械かロボットか?

「高知遺産」の24pでも紹介し、微妙に人気があった「椿荘」が取り壊された。
ここは5年くらい前に比島界隈の街歩きの会をした時にはじめて発見し、以来なんだか好きで近所の「栄田市場」や細路地と共にたまに訪れていたところだった。
なんでそんなに惹かれたかといえば、内部に曲線を使った階段があったりアパートの銘版が浮き文字になっていたりと意外と洒落ていて、「沢マン」「大虎」と並ぶ高知三大アパートと勝手に思っていたぐらいのところだったのだ。

実はおいらが中学時代、はじめて好きになったアイドルが本田美奈子なのだった。
今は亡きウイル福井店で、本田美奈子の本を買ったのを今でも鮮明に覚えている。
その後の本田美奈子はミュージカルの実力派に。
そういう意味でもとても惜しまれるし、個人的にはなんとも寂しい。寂しすぎる。
合掌。。。

おいらが最も愛するカフェ、それは高松の「umie」。
たぶんこれだけの魅力を放つカフェは、全国を見渡してもそんなにない。
まあ同じような人はたくさんいそうだけど、お気に入りの窓辺の席からはこんな具合で船が見え、親子が岸壁で遊ぶ姿が見える。

沢田マンション関係筋によると、「四国ブログランキング」で上位に入るAさんが早ければ11月末にも入居する 意思を固めたとみられる。また、既に契約も終了しているのではないかとの憶測も流れており、関係筋では火消しに躍起になっている。
真相に関し、本人のブログでの公表も期待されるところだが、もしこれが本当であれば、沢田マンションから発信されているブログは公式/非公式も含め多数にわたることになる。

10月24日、神山町にアーティストインレジデンスの現場を見に行った帰り(これもいつか書きます)、徳島市で何か飯屋はないかとウロウロ。
しかし徳島、夜だというのにひとけもなく、若い人もどこにもおらず、飯屋的にも「徳島ラーメン」以外には特に何も琴線に引っかかるものがなく、正直「なんだこの町は」状態。この直前の金曜から土曜は高松、土曜夜には松山にも行っていたので、はからずも四国四都を同時期に見ることができたわけですが、徳島のこの寂れようはちょっと異常。

いの町枝川に脈々と伝わる伝統芸能「八代の農村歌舞伎」へ行って参りました。
この歌舞伎は地元の青年団が八代八幡宮に毎年奉納しているもので、よその歌舞伎や芝居が続々と倒れていってしまった中で、次の代へときちんとそれを引き継ぐシステムが生きてきたとされている。
なるほど確かに地域の子どもたちもみんな集まって踊ったり遊んだりしているし、若い人もたくさんいる。

11月2日、ここ2週間ほどつきっきりでやっている仁淀川の観光案内HPの仕事の撮影で、仁淀川を河口から源流まで走ってしまいました。