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2005年10月23日

●高松アジトへ高知遺産が乱入!

DSC03729.jpg
 10月21日、高松TMOセンターで「高松アジト×高知遺産」のトークセッションに参加してまいりましたです。  東京→四万十→大阪→高松とこれで遺産話も4回目。高松は、ある意味クライマックスですな。


・・・てゆか、なんで県外ではこんなに呼ばれたり反響あったりするのに、高知は皆無なんでしょうかね??・・・・まあそんなことを思ったりしつつ高松入りしたのが夕刻。会場は片原町アーケードの「高松TMOセンター」。こういう拠点をTMOが持っていて、またスタッフに若い人もおってさらに玉石混合というくらい様々な人が出入りしていて、さらにさらに積極的な活動をしているの、うらやましいねえ、うん。なんか今日は高知と高松をとことん比較してしまいそうです。まちなかに「暮らす」という視点を改めて持ち込んでいこうと試行錯誤している高松、いわゆる「まちづくり人」だけでない人々の連携の萌芽がある高松。それにひきかえ高知は・・・うーむなんだかブルー。
 会場内外には、東京にも出張した高知遺産の写真たちが所狭しと掲示され(写真右)、その対面には高松アジトのパネルが張られている(写真左)。しばし今回の席を用意してくれたHさんと腹ごなしにうどんを食し、会場へ戻る。
 会場はにわかに慌ただしくなり、席が並べられる。。。なんか緊張。というのも、大阪の時は客席とまだ距離があったし、東京の時も視野に全員が入るような位置にすわれたんだけど、今回はどまんなか。全員を見渡そうとするとぐるっとみんといかんわけで。
 定刻スタート。大阪のコンサル稼業ながらもうほとんどあなた高松人やないですかという勢いのIさんたちの挨拶の後、その真ん中の席へ。やっぱり緊張。大阪どころじゃない。そんなことをボソボソ喋っていると、酎ハイの差し入れ。これがあったら安心です(笑)
 会場内からは「さすが高知人」とのヒソヒソ声も聞こえてきたり(笑

 まあそれでも喋りだすと急に落ち着いてきて、スライドトーク40分の持ち時間を全く気づかず60分ほど喋っていた模様。今回のスライドは、高松用に新しく仕立て直していたわけだけど、やはり時間チェックはしとかんといかんと反省。今回は写真をみせてそれについてソラで喋ったりする時間を入れていたんだけど、そこで思いのほか喋っていたような気がする。。。
 まあそれでもお客さんの反応はそこそこ上々だったと思いたい。高知遺産の原点となった新堀川や丹中山の惨状と遅すぎた市民の取り組み、より遅すぎる行政の取り組みの状況への苛立ち、これまた原点である比島という「おいらにとっては」原風景の喪失といったことから「高知遺産」の支柱部分ができていったあたりはなんとなく理解してもらえたのではないかという気がする。
 問題はこれを今後いかにして高松が現在取り組んでいるようなまちなか再生に向けた取り組みへつなげていくかということで、その点はART NPO TACOなどの活動も通して徐々に実現していきたい旨などにも触れながら、まちなかで暮らす人々をカタログ化した「高松アジト」のような動きを高知でもしていきたいといった感じでしめくくったような気がする。
 この会場、そしてその後の懇親会などで高松サイドから得られた反応としては、「高松アジト」が生まれた高松では、逆に「高知遺産」が指摘したような「原点」についての考察を抜きにして本を出してしまったので、ここから次にどこへいくのかが課題になるということだった。また、「高知遺産」のおいらとしては、先ほども触れたように「高知遺産」は逆にこれからこのまちをどうしていくのか、という提起の部分を欠いているので、そこをいかに具体化していくかが課題になるということを喋っていた。

 行くまでは高知は課題だらけ、高松はその課題を乗り越えて云々だと思っていたけど、高知に課題があるように高松にも課題がある。しかもその課題は、以外と共有できるものもある。また、高知が課題にもなっていないようなところで、高松はそれが課題になっていたりするところもあったりするし。その逆もまたありで。そんなことを、高松の人々と話をしていたら強く思った。・・・ただとりあえず、高知は地価が高いねー。なにするにもそれがネックだね。

 おいらのトーク終了後は、dodoのめがね店長をはじめとする「高松アジト」で紹介された人々とのトーク。おいらは基本的にはそんなに喋りなしで、沢田マンションについて軽く説明した程度。しかし面白かったのは、東京や大阪の会場でほとんどの人が知っていた沢マンも、高松では知名度がゼロに近いということだった。。。

 夜は懇親会。ここでもとっても貴重な話がたくさん。高松の某官庁からみた高知から出てくるプロジェクトの見え方、高知と高松の連携その他いろいろ。

・・・気がつけば午前4時・・・






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※11/12 に日付調整しました

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コメント

お説の遅れている新堀川市民グループです。

こうち遺産の原点となった新堀川、その表現やすごい。
ぜひ、一度お会いしたい、お願い申し上げます。

27日に講演会を準備中です。

今度、帰省する時に寄ってみたいと思います。その時はどなたかを紹介してくださいね。

下司さん>高知市の場合、風情は「ふるいだけ」ですからね。あそこにフタをするくらいなら「城下町都市」とか「歴史観光」なんて言うのはやめてほしいですね。正直県外の人がきてこの街で「歴史がある」なんて言ってくれた人、誰もおらんですよ。
  そう考えると現在の新堀川に関する諸々の運動は、ちょっと遅かったかな・・・と残念です。計画自体はずいぶん前からあったわけだし、新堀や堀川、四ツ橋の歴史遺産としての性格は不変だったはず。水門移動が終わった段階で云々しても、それはそれで行政も引き下がれない。中海・宍道湖のように干拓計画が頓挫してラムサール条約批准という事例もあるとはいえ。
 むろん何もやらないよりはずっといいと思うし、無意味なことだとは全然思いません。だけどアカメだけではミティゲーション的な考え方を持ち出されたら終わりという側面もあったりしそうですね。「環境」で訴えるのって、意外と市民一般や行政に伝わりにくい部分がありますし。近江八幡や松江の事例も参考になりそうですね。


よすけさま>今度高知にも高松グループを呼ぶつもりですよ。高松と高知を若い力で結んでいけたらなと思っております。

ところが新堀川はアカメやシオマネキどころではない事実が発覚していますね。
 「明治維新は新堀川」からなのですね。実にこれは大事件。高知県人の歴史観がひっくりかえりました。すみません時間がないので、リンク表示はできませんが、番組での下司孝之さんと西岡謙一さんの両巨頭の対談に出てきます。

http://www.nc-21.co.jp/dokodemo/whatnew1/shinborikawa/shinborikawa1.html

 沢マン住民のタケムラナオヤさんに一言。

 コンサルの常識を覆すコンサルになりなはれや。

下司さん>高知市の場合、風情は「ふるいだけ」ですからね。あそこにフタをするくらいなら「城下町都市」とか「歴史観光」なんて言うのはやめてほしいですね。正直県外の人がきてこの街で「歴史がある」なんて言ってくれた人、誰もおらんですよ。

  そう考えると現在の新堀川に関する諸々の運動は、ちょっと遅かったかな・・・と残念です。計画自体はずいぶん前からあったわけだし、新堀や堀川、四ツ橋の歴史遺産としての性格は不変だったはず。水門移動が終わった段階で云々しても、それはそれで行政も引き下がれない。中海・宍道湖のように干拓計画が頓挫してラムサール条約批准という事例もあるとはいえ。
 むろん何もやらないよりはずっといいと思うし、無意味なことだとは全然思いません。だけどアカメだけではミティゲーション的な考え方を持ち出されたら終わりという側面もあったりしそうですね。「環境」で訴えるのって、意外と市民一般や行政に伝わりにくい部分がありますし。近江八幡や松江の事例も参考になりそうですね。

 遅いも早いもありません。気がついたら市民が指摘すればいいのです。
公共事業は役所の特権ではありませんね。
 
 韓国ソウル市は高速道路を引き剥がして、「清渓川(チョンゲチョン)復元事業を400億円かけてやりましたし。高知県は100億円かけて、歴史的遺産の多く残る新堀川、ビオトープの新堀川を埋め立て自動車道路こしらえていますね。

 どちらが文化的なのわかりやすいと思いますね。沢マンも「違法建築」?だからこそ文化が宿ったのではありませんか?

 ソウルの親水空間「清渓川復元事業」と新堀川

けんちゃん>武市半平太も確か新堀の界隈で道場をやっていましたよね。菜園場という名前も山内の殿様にまつわる名前だったような記憶が。下司さんや西岡さんのお話にもあるように、実際歴史をもっと大切にしてほしいもんですね。。。やはり大切ですよ。行政の現場の人たちと話していると、「そのこと自体は分かっているけど、仕方がないんです」とか平気でおっしゃりますもんね。。。「そんなにここ歴史あるんですか」とか。

ソウルの事例は成川さんやけんちゃんのところで知って、すごいなーと感心してました。すごいですよね、同じ時代に逆のことかよ!と思わず笑ってしまいました。高知でも、下司西岡巨頭対談にある明治期の写真を目指して堀を戻していったらいいのになとか「お金のことを抜きで」考えたりするときがあります。

>コンサルの常識を覆すコンサルになりなはれや。
ありがとうございます(笑
そうなるように頑張りたいもんです。。。
沢マンだけでなく、もともと普通のコンサルの皆さんがいないところに生息している人間なので、その方向を目指したいです。。。
が、コンサルという稼業に大きな疑問を持ってしまっている時期なので(まるで思春期のように)、どうなることやら。。。

まあこれ以上書くと人生相談のようになってくるので、
それはまたいずれお会いした時にでも(笑)

横やりすみません。
けんちゃんさんの仰る
> 公共事業は役所の特権ではありませんね。

民間の側から都市計画の決定や変更を提案できる都市計画提案制度というのもありまして、ハードルはそれなりに高いのですが、方法がないわけではありません。

ただ、1本の道路を造るために、都市計画決定して私権制限をかけたものを何十年後かに解くというのは、実に大変な作業なのだと思います。

http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/tosikeikaku/teian/teian.htm
これですな。
新堀川、実際惜しまれます。ホントに好きな場所だっただけに・・・!!!

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