おいらが高知へ帰ってきて98年、お互いがまだ知り合って間もない20代中盤のメンバー10人で「20W製作所」なるものづくり集団をたちあげた。20Wとは、「弱い光でもいいから、光り続ける」20W電球がその語源。
メンバーは、南はりまや町のPOURQUOI、洞ケ島のSAIL、はりまや橋のThank!thank!といった当時まだオープンして間もない雑貨店のスタッフ、ファウストや柳町のエムツウなどのギャラリースタッフ、デザイン事務所所員、おいら(地域計画コンサルタント)、写真店店員などで、今思えば人数は少ないにもかかわらずかなり面白い顔ぶれだった。