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2005年05月06日

●【京都の旅】記憶の風景

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ついに京都の旅も最終日。あっという間の3泊4日間だったのだ。

今回の旅では、C氏からチャリを貸してもらったこともあって、また車で来なかったこともあって、じっくりとチャリや歩きで街を堪能した。C氏宅が御池柳馬場という一等地にあることもあって動きやすく、寺町界隈なんかはこんなにじっくりとうろついたのは多分10年ぶりくらいになるはずだ。


でも、なんか京都はいつきてもそう思うんだけど、いつきても今も住んでいるかのような錯覚に陥らせてくれる。ましてや今回のように、実際に住んでいた時代と同じように自転車や歩き、鉄道、バスとかを使ってうろつくと、その感慨はひとしおなのだ。
多分どれだけ風景が変わっても根本的な風景・・・たとえば東山の嶺や寺、鴨川の流れは絶対に変わらないし、街並みだって行き過ぎたリノベが目立ちすぎる他は変わったという印象がない。
 これが約2年間働いていた大阪や心斎橋だとそうはいかない。心斎橋なんて、今行っても「ここで毎日働いていた」という実感がないくらいに変わってしまいーたとえば会社から心斎橋駅までの5分ほどの道のりですらー記憶を辿ることのできる、もしくは記憶を呼び覚ましてくれるような風景や印象と出会えなくなってしまっている。
 記憶の風景がいかに残されているか。その風景は、その街と自分との共有項であり、その街と自分との距離を測る物差しだ。「高知遺産(おかげさまで売れ行き好調です)」で考えていた暮らしの中で記憶してきた「大切な風景を記録する」という行為は、たぶん今回おいらが京都で感じたことが高知ではできなくなりそうな予感があるから生まれたんだろうなとも思った。記憶を辿ることのできる風景を失うと、その途端にその街と自分との距離は離れてしまう。たぶん、加速度的に。
 京都はいま、東京や大阪といった巨大資本やメディアに消費される一方だ。もともと消費される都市ではあったのが、昨日の骨董屋のおばちゃんではないが「よりひどくなってきている」。京都にそれまでなかったはずのもの、京都らしくないものや行為が「京都らしいもの」として観光客や地元の若者に消費され、一方でずっと大切に形を変え品を替え残されてきたはずの京都本来の風習や風景がないがしろにされようとしている。むろん全てにこれが当てはまるというわけではないけれど、そうして京都が大阪化、東京化していくのはあまりにもつまらない(「おばんざい」ひとつとっても、大阪や東京で「おばんざい」屋さんが受けたから京都に逆輸入されたという考え方すらできそうだ)。
 ただそれでも京都はあまりにも「記憶の風景」としての資源が膨大だから、10年ぶりでも「今も住んでいる」かのような錯覚を覚えるのだろう。そしてまた、だからこそこの都市に挿入された「京都らしいもの」にどこか疑問を感じてしまうのだろう。これからもたぶん毎年のように京都には行くんだろうけど、どうかいつまでも京都は京都であってほしい、そんな気がした。
 まあ夏はイヤだけど。

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コメント

はじめまして。いつも密かに楽しませていただいてます。京都の話、共感です。胸にグッときました。個人的ですが私にとっても京都は特別な街。不思議な街です。特別何をするわけでもなく、ただチャリで街を走り抜ける。上ガル、下ガル、東入ル…それは住んでたときの感覚、ほんとにそのものです。記憶や思い出の中を走ってる、夢の中なんじゃないか?という気にもなってしまったり。(大げさですけど。)
記憶の風景が残っているから「生きた記憶」に会えるんですね。しかし日本中あちこち、街が○○化されて、同じような建物が立ち並び、似たような街になっていく。「記憶の風景」を失っては街の個我を見失っていってる。考え深いです。

はじめまして。ご覧頂いているとのことで、本当にありがとうございますです。
上ル下ルに東入ル。おいらは昔左京区川端二条上ル東入ル新先斗町・・・とか下京区寺町五条上ル西橋詰町・・・とかに住んでいたんですが、結構この住所表記はおいらにとって大切で、引っ越しの時も「かっこいい上ル入ル」の組み合わせになるようなところを探してました。。。

記憶の風景。
高齢化や過疎化もしくは都市化といった要因の中でさまざまな風習や行事が消え、地域のコミュニティは変質してきました。結果として地域の風景や事象が共有財産としてのものから単純な個人財産へと変化し、そのことが今の「記憶の風景」の猛烈な勢いでの喪失を招いているような気がします。
今回は都市のことを書きましたが、むしろ田舎での喪失の方が大きい部分もあるのかも知れません。空き家が目立つ商店街ならまだしもそれがただの駐車場になったり、ずっと地域が守ってきたはずの行事や風習が消え、かつて地域の中心であったはずの社や学校から賑わいが消える。。。等々。まあ一面的にとらえると、そんな感じなんでしょうか。

川端二条あたりはいいですよね。街も川も美術館もメトロも近い!以前勤めてたとこがその界隈、川端冷泉東入ルでした。自宅は千本丸太町下ガル東入ル。通勤路を「丸太町コース」「二条コース」でその日の気分で変えたり。。うーん、こう考えるとほんとにいたるところで「記憶」になってくれてるんですね、京都は。。
おっしゃるように、田舎での喪失はより深刻な気がします。賑わいが消えるとその地域自体が喪失されていく…。でも私、はっきり言ってまだまだ知らない、分からない、事実がいっぱいあります。今自分の中に生きてる「記憶の風景」と、それから「記憶の風景」という言葉自体も、いつも心にとどめていたいな。
「高知遺産」、遠くに住む兄弟たちにも送ってあげるつもりです。

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