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2004年04月27日

●自己責任派と自己責任懐疑派

〜行動する前に自分の行動がどういう影響を周辺に与えうるか?ということを考えるべき〜
これが自己責任論を推す人の最も言いたいことなんかなと思う。
〜どのような状況であれ、国は国民を救済する義務がある〜
これが特に最近の自己責任論に懐疑的な人の最も言いたいことなような気がする(おおもとにはイラク戦争自体や自衛隊自体の問題、NGOの位置づけといったこともあるけど)。


自分は基本的に後者寄りだけが、前者寄りのブログとかを見ているとその思いというか論拠もわからんでもない。確かそうだよなと思えるブログも実際多い。ただ、こうしたところでは登山や樹海めぐりをたとえに出して今回の事件の問題性を考えてケースが多いのだけど、なんかそれも微妙に違うような気がしている。NGOの活動を「趣味や遊びの世界」と同列にすることはどうにも考えにくいのだ。「行かなくてもいいという選択肢があるのに、行った」という部分はすごい似ているんだけど、趣味や遊びで行っているんじゃなくて、彼らナリの義務感とか信条に従って行ったという部分が当然違う。そして、この義務感とか信条というのをどう捉えるかが自己責任派と懐疑派の違いなわけだけど、イラクの人を救いたいという意識を持つことがいいのか悪いのか?ということに辿り着いた時、やっぱりそれは悪いことには思えない(目立ちたいだけとかいう意見もあるが、これは論外じゃろ)。

自分は、【5人の人質】でも書いたように拉致られたことへの「自己責任」は確実に5人につきまとうとは思う。実際(国民が選挙で選んでしまった)政府の立場にだけたって考えれば「迷惑」もかかってしまっているわけだし。でも、「反日的」などとひとくくりにして5人が持つ感覚まで叩いてしまうことは、これからの日本にとっていいこととは思えない。「金」と「軍隊」だけ出していたら国際貢献だ!というのは何かおかしいと思う。